2017/08/20

diversity

お台場



最初
この言葉を聞いたとき
音が似ているから
”お台場”という地名が
頭の中に出てきました。



スペルは
diverCITYだと
思い込んでいました。




最近のメディアでも
”ダイバーシティー”という
活字をよく見かけます。



カタカナ表記だと
なおさら
”シティー=街”と
想像する方も
いらっしゃると
Katie思うのですが・・。





昨日
バンクーバー市役所前では
人種に関する抗議デモが行われ

平和的にデモが終結したと
ニュースで言っていました。




自分の主張をしつつ
相手の意見に聴く耳を
持つからこそできる
”平和的”なデモ。




もちろん
バンクーバー警察が
両者それぞれを
警備して
群衆が暴徒化しない様に
”見守って”いたことも
平和的になった
要因のひとつだとは思います。



カナダ首相の

バンクーバーのデモが
平和的に遂行されたのを受け
ツイートした言葉にも
”ダイバーシティー”が
使われていました。



"Diversity
will always be our strength."



”多様性は常に私たちの
強さになるだろう。”






ダイバーシティーとは?

多様性=相違点がある
との解釈もされているかと
思います。



相違点をいかに
自分の中に入れて
かみ砕けるか


ダイバーシティー
環境に生きる
”移民”Katie



時には、かみ砕き
時には、ただ飲み込み


カナダの地で
生きています。










2017/08/17

victim

事件に巻き込まれた
日本人はいません





日本のニュースを見ていて
違和感を覚えることは
このひとこと。



必ずと言っていいほど
日本以外の国で起こった
テロや事件の際には



”外務省が
日本人の安否などを
現在調査中です。”



(もちろん外務省は邦人の安全確保
して頂きたいですが。)



”日本人”とくくる意味に
違和感を覚える
Katieがおかしいのでしょうか?




だいぶ前になりますが
日本の歌手の方が
この違和感を歌詞に
されていたのを
聞いたこともあります。



今日
バルセロナで亡くなった方


数日前
アメリカの白人至上主義デモで
亡くなった方


私たちの知らないところで
事件 虐殺 テロなどで
無差別に他にもたくさんの方が
亡くなられている世の中。



世界中の人々が
同じ考えをもつことは
不可能だとしても




(当たり前なのですが)
人間が人間を
殺してはいけない


これだけは世界共通の
考えであって欲しいと
切に願います。


















今、
上記のお知らせメールが
バンクーバー日本総領事館から
届きました。



色々な抗議集会が
今までも行われていましたが
このようなメッセージが
領事館から届いたのは
初めてのような気がします・・。



メッセージを読んで
目に見えない何かが
世界中を覆い始めた
危機を感じました。




意見の対立は
仕方がないこととして
誰の命も奪われないことを
切に願います。








2017/08/16

conflict

銃後の守り




8月



広島 長崎に 
原子爆弾が投下され
戦争が終結した月



Katieの祖父母は
その時代を生きた人です。




K祖父は
いち兵士として
戦地に行きました。
生きて帰ってきました。



K祖父は、私たち孫に
戦争の話をすることは
ほとんどありませんでした。




K祖母は、
戦時中逃げる際
流れ弾がかすった跡が
首にあったため、
子供だったKは
”おばあちゃんすっげー”
と思っていました。



戦争のこと
多くの日本人は
体験してない世代になり

過去にあったこと
あるいは
知らないこと
になっていると思います。
(K自身もそうです)









最年長のK友人と
昨日、8月15日
会う機会がありました。




戦争を体験し
戦後の日本に失望し
夢を求めて
知らない国(カナダ)に
お嫁に来た女性。



今昔物語を聞いて
いつも
”すっげー”
と思っている
人生の大先輩。



日本のニュースや
ネット上で
”終戦記念日”という
言葉が頻繁に出てきた
こともあって



K友人に改めて
戦争のことを
質問してみました。



K友人は戦争中
女学校に通っていたそうです。


ある日
空襲警報が発令され
防空壕に避難するとき
クラスメートが
敵機に上から撃たれて
すぐそばで
亡くなったそうです。



その時、

以前 ニュース で見た

イラク戦争時の米軍が
地上の人を撃っている映像が
Kの頭をよぎりました。


ニュースの中の出来事が
戦時中の日本の中で
当たり前のように起きていた・・。




彼女のご主人は
戦争が始まる数年前に
カナダに渡り働いていたそうです。



戦争がはじまり
カナダにとっては敵国である
日本人や日系人は
極寒の地に追いやられ
生活をしたそうです。



でも彼女のご主人の話によると
極寒の地に追いやられたことは
事実ですが、



人権は尊重
されたそうです。




戦争が終わり
多くの日本人が
日本へ引き上げる中
彼女のご主人は


カナダという国は
戦時中でも
敵国にも関わらず
日本人の自分を

人間

として扱った
素晴らしい国


だから日本へは帰らず
このままカナダ人になって
この国で骨を埋めようと
決心したそうです。



一生懸命働いて
家を自分で建て
(その家に彼女は現在も住んでいます)
ビジネスを成功させ
カナダの地に
今は眠っています。




オバマ元大統領ツイート

"No one is born hating another
person because of the color of
his skin or his background or
his religion..."


生きていると
環境
経験
思考
などによって
人間は変わるもの




戦中の日本で
英語を話したら
敵国の言葉を話す

”国賊”



2017年の日本で
英語を話したら

”すっげー英語話せるのぉ?”
と尊敬されたりもする。



K友人と話していて
改めて”日本”を
知ろうと思いました。





銃後の守り
国賊
国民皆兵



昨日初めて知った言葉です。
皆さんはご存知ですか?