2017/08/16

conflict

銃後の守り




8月



広島 長崎に 
原子爆弾が投下され
戦争が終結した月



Katieの祖父母は
その時代を生きた人です。




K祖父は
いち兵士として
戦地に行きました。
生きて帰ってきました。



K祖父は、私たち孫に
戦争の話をすることは
ほとんどありませんでした。




K祖母は、
戦時中逃げる際
流れ弾がかすった跡が
首にあったため、
子供だったKは
”おばあちゃんすっげー”
と思っていました。



戦争のこと
多くの日本人は
体験してない世代になり

過去にあったこと
あるいは
知らないこと
になっていると思います。
(K自身もそうです)









最年長のK友人と
昨日、8月15日
会う機会がありました。




戦争を体験し
戦後の日本に失望し
夢を求めて
知らない国(カナダ)に
お嫁に来た女性。



今昔物語を聞いて
いつも
”すっげー”
と思っている
人生の大先輩。



日本のニュースや
ネット上で
”終戦記念日”という
言葉が頻繁に出てきた
こともあって



K友人に改めて
戦争のことを
質問してみました。



K友人は戦争中
女学校に通っていたそうです。


ある日
空襲警報が発令され
防空壕に避難するとき
クラスメートが
敵機に上から撃たれて
すぐそばで
亡くなったそうです。



その時、

以前 ニュース で見た

イラク戦争時の米軍が
地上の人を撃っている映像が
Kの頭をよぎりました。


ニュースの中の出来事が
戦時中の日本の中で
当たり前のように起きていた・・。




彼女のご主人は
戦争が始まる数年前に
カナダに渡り働いていたそうです。



戦争がはじまり
カナダにとっては敵国である
日本人や日系人は
極寒の地に追いやられ
生活をしたそうです。



でも彼女のご主人の話によると
極寒の地に追いやられたことは
事実ですが、



人権は尊重
されたそうです。




戦争が終わり
多くの日本人が
日本へ引き上げる中
彼女のご主人は


カナダという国は
戦時中でも
敵国にも関わらず
日本人の自分を

人間

として扱った
素晴らしい国


だから日本へは帰らず
このままカナダ人になって
この国で骨を埋めようと
決心したそうです。



一生懸命働いて
家を自分で建て
(その家に彼女は現在も住んでいます)
ビジネスを成功させ
カナダの地に
今は眠っています。




オバマ元大統領ツイート

"No one is born hating another
person because of the color of
his skin or his background or
his religion..."


生きていると
環境
経験
思考
などによって
人間は変わるもの




戦中の日本で
英語を話したら
敵国の言葉を話す

”国賊”



2017年の日本で
英語を話したら

”すっげー英語話せるのぉ?”
と尊敬されたりもする。



K友人と話していて
改めて”日本”を
知ろうと思いました。





銃後の守り
国賊
国民皆兵



昨日初めて知った言葉です。
皆さんはご存知ですか?


















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